
北西アフリカの3国、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを総称してマグレブと呼ぶ。マグレブとはアラビア語で“陽の沈むところ”の意。その西の端にあるのがモロッコだ。
まず、簡単にモロッコの歴史から。マグレブの地には太古よりベルベル人が住んでいた。古くはカルタゴ、ローマ、バンダル、ビザンチンの支配を受けたが、それは沿岸部や都市部が中心で全国的にはさほど影響はなかったようだ。ところが7世紀以降、イスラム布教のためにやってきたアラブ人によって、言葉、町の造り、宗教すべてがアラブ化へと大きく変化していく。その後、ベルベル人、アラブ人による各イラム王朝が興亡を繰り返す。それと同時に大西洋や地中海沿岸の港町はスペイン、ポルトガルの支配を受けることもあった。そして近代。フランスの保国を経て、第2次世界大戦後の1956年に現在のモロッコ王国が誕生する。
マグレブが今の3国に分かれたのは13世紀の初め。モロッコがほかのマグレブ国と違うのは、15から16世紀にイスラム世界の覇者となったオスマントルコ帝国の支配を受けなかったことだ。そのせいか、チュニジアやアルジリアに比べて先住民ベルベル人の住む割合が全人口の半数以上ともっとも多い。さまざまな歴史の波にもまれながらも、人々は決して民族の誇りを失うことなく「モロッコ人」であり続けてきた。初めてこの地を訪れ驚くことは、ヨーロッパにこれほど近いにもかかわらず、独自の民族文化に溢れていることだ。歴を知るとさらにその思いは強くなる。また、モロッコはヨーロッパ、アフリカ、アラブをつなぐ交易の十字路として重要な役割を果たしてきた。その結果ベルベル&アラブ文化に各国のエッセンスが加わり、多彩なミックスカルチャーが育まれたといっていいだろう。実際、モロッコという国は地域によっかなり異なった文化をもつ。北部へ行けばスペインカラーが強く、大西洋沿岸へ行けばポルトガル色、砂漠へ行けば遊牧民文化、南へ行けばサハリアンブラックアフリカと、実に変化に富んだ旅が楽しめる。食事も北から南それぞれに郷土色豊かだ。
ほか建築物、衣装、音楽、踊り……とにかくすべてにいて強烈な個性を放っている。
まず、簡単にモロッコの歴史から。マグレブの地には太古よりベルベル人が住んでいた。古くはカルタゴ、ローマ、バンダル、ビザンチンの支配を受けたが、それは沿岸部や都市部が中心で全国的にはさほど影響はなかったようだ。ところが7世紀以降、イスラム布教のためにやってきたアラブ人によって、言葉、町の造り、宗教すべてがアラブ化へと大きく変化していく。その後、ベルベル人、アラブ人による各イラム王朝が興亡を繰り返す。それと同時に大西洋や地中海沿岸の港町はスペイン、ポルトガルの支配を受けることもあった。そして近代。フランスの保国を経て、第2次世界大戦後の1956年に現在のモロッコ王国が誕生する。
マグレブが今の3国に分かれたのは13世紀の初め。モロッコがほかのマグレブ国と違うのは、15から16世紀にイスラム世界の覇者となったオスマントルコ帝国の支配を受けなかったことだ。そのせいか、チュニジアやアルジリアに比べて先住民ベルベル人の住む割合が全人口の半数以上ともっとも多い。さまざまな歴史の波にもまれながらも、人々は決して民族の誇りを失うことなく「モロッコ人」であり続けてきた。初めてこの地を訪れ驚くことは、ヨーロッパにこれほど近いにもかかわらず、独自の民族文化に溢れていることだ。歴を知るとさらにその思いは強くなる。また、モロッコはヨーロッパ、アフリカ、アラブをつなぐ交易の十字路として重要な役割を果たしてきた。その結果ベルベル&アラブ文化に各国のエッセンスが加わり、多彩なミックスカルチャーが育まれたといっていいだろう。実際、モロッコという国は地域によっかなり異なった文化をもつ。北部へ行けばスペインカラーが強く、大西洋沿岸へ行けばポルトガル色、砂漠へ行けば遊牧民文化、南へ行けばサハリアンブラックアフリカと、実に変化に富んだ旅が楽しめる。食事も北から南それぞれに郷土色豊かだ。
ほか建築物、衣装、音楽、踊り……とにかくすべてにいて強烈な個性を放っている。

国名 | モロッコ |
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正式国名 | モロッコ王国 Kingdom of Morocco |
国歌 | モロッコ国歌 |
面積 | 約45万9000km2(西サハラは除く) 日本の約1.2倍 |
人口 | 約3220万9101人(2004年) |
首都 | ラバト Rabat |
元首 | ムハンマド6世国王 Mohammed VI |
政治体制 | 国王を元首とする立憲君主国家 |
民族構成 | アラブ系65%、ベルベル系35%。 |
宗教 | イスラーム教(スンニー派) |
祝祭日 |
■太陽暦によるもの 1月1日 新年 1月11日 独立宣言記念日 3月3日 ハッサン国王即位記念日 5月1日 メーデー 5月23日 国民の日 7月30日 国王即位の日 8月14日 ウェッド・ダハブ奪回記念日 8月20日 国王と国民の革命記念日 11月6日 西サハラ緑の行進記念日 11月18日 独立記念日 ■イスラム暦によるもの(未確定) 1月1日 新年(1月31日) 3月12日 モハメッド生誕祭(4月11日頃) 9月1日 ラマダン(9月13日頃) 10月1日 ラマダン明けの祭り(10月13日頃) 12月10日 犠牲祭メシュイ(12月31日頃) ラマダン明けの祭りと犠牲祭前後の1週間は多くのモロッコ人が大都市から田舎に移動する。鉄道、長距離バス、グランタクシーは大混雑するうえ、料金も高くなるので予定を立てるときは注意が必要。 |

通貨と為替レート |
通貨 単位はディラハムDH。補助通貨はフランスと同じサンチームCとリアルRIAL。1DH=100C=20RIAL。紙幣は20DH、50DH、100DH、200DHの4種類。硬貨は5C、10C、20C、50C、1DH、2DH、5DH、10DHの8種類。独立前にはスペインがリアルを単位として使っていたため、高齢者のなかにはリアルを単位として使う人もいる。最近はディラハムがほとんどだが、旧市街メディナ内や地方で、金額が大きすぎると 思われる場合はリアルかディラハムかを一応確認すること。
![]() ※2006年4月現在、10DH紙幣は流通していないが使用は可能。 |
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両替 | 両替は空港、市内の銀行、両替所、ホテルなどで可能。いずれにも対円レートが表示されており、日本円を両替することができる。両替時にはパスポートの提示が必要。モロッコでは通貨が厳しく統制されているため、銀行レートはどこでも同じ。ただし、T/Cは地方では両替できない銀行もあるので、都市部で両替しておくこと。基本的に現金とT/Cのレートはほぼ同じ。ホテルではT/Cの両替は宿泊者のみのところが多い。どこで替してもレシート(両替明細書)をくれる。端数(小銭分)は切り捨てられる場合もあるので、レシートを確認、保管しておくのを忘れずに。また、Dはモロッコ国外では両替できない。したがって出国時にはDHを外貨に再両替しなければならない。このとき、元の外貨が何であるかを証明する両替明細書必要になるので保管しておくこと。 |
税金 | 特に消費税のようなものはない。ホテルによっては数%の税金がかかる。 |

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【マラケシュと東京の平均気温】 ※東京の気温および降水量は、東京管区気象台のデータ。マラケシュの気温および降水量は、モロッコ観光局資料より。 ![]() 【マラケシュと東京の降水量】 ※東京の気温および降水量は、東京管区気象台のデータ。マラケシュの気温および降水量は、モロッコ観光局資料より。 ![]() |
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日本との時差は-9時間(イギリスと同じ)。スペイン、フランスより1時間遅い。6〜9月にはサマータイムが実施される年もある。 |